今年も後1週間
2018年も、残り1週間となりました。そろそろ今年の振り返りの時期である。
毎年のことであるが、1年経ってしまったんだなという感慨と、残りの人生が、1年また減ったという事実を突きつけられるのである。
残りの60歳で、残りの人生を20年と考えるのか、30年と考えるのでは、生きるスタンスが大きく変わるのである。
人は、良い方へ考える人と、悪い方へ考える人がいるが、あなたはどっちだろうか。
長生きしたいいうのは、だれしも思うことであるが、それは、衣食住が、確保されていることが、暗黙の前提条件である。
ここで言う衣食住の確保も、人により、レベルがバラバラなのである。
働き続けるため長生きを願うのか
今年も、めでたく定年となった方が、4名ほどいました。そのうち、1名は、65歳、残りは、3名は、60歳でした。
65歳の方は、退職、60歳は、2名は、再雇用制度を活用して、会社に残り、仕事を続ける。
後1名は、取引会社へ、天下りということでした。
60歳で、ハッピーリタイアをする人を、見たいことがありません。
年金支給が、65歳になったこと、会社が、再雇用する法整備ができたことでしょう。
考えてみれば、10年前ならば、60歳からは、仕事をせず、のんびりできたのが、「生涯現役」を、当たり前の世になってきたのです。
死ぬまで、働く社会が、目指す社会でしょうか。
なにか、違う気がします。
長生きしたいという人間の願望を、達成し、長生きを手に入れたら、その分、働き続けるとは、本当に幸せなんでしょうか。
働き続けるために、長生きしたいのだろうか。
平凡な1日
平凡な1日こそ貴重である
何も起こることがなく
ただ生きているだけで
しあわせ
平凡の積み重ねの結果、長生きしたということになる。
働くことが、目的ではなく、ただ、生きているだけなのだ。